すすき野原より

障害者の日常、雑記、独り言

昔入院した時の話

(今回の記事は一部、気分の悪い表現があります)

何年か前に、一度だけ1週間ほど入院したことがあります。

病名は何だったかと言うと…

当時の入院診療計画書には

「卵巣機能不全」と書いてありました。

症状はどんな感じだったかと言うと、

経血が2週間くらいずっと止まらなくて、しかも段々と出血量が増えてきて、最終的にはレバー状の血の塊がドボドボドボドボ出てくるという、なんとも恐ろしい症状です。

いや、マジで生きた心地がしなかったわあの時は………

自転車に乗ってちょっとスーパーに行ってきただけで、スーパーに着いた時にはもうズボンの股の部分に経血が染み込んできているという。

当然、自転車のサドルにも血がついてる。

自室にいるときも、普通に椅子に座っているだけで椅子に血がつく。

23cmナプキンがものの1時間もしないうちに生地の全体が血を吸って真っ赤になって、血液でタプタプになる。

さすがにこれはヤバいなと思い、土曜日だったけど、近くに営業している婦人科がないか急いでネットで探して、電話して土曜日でも営業しているか聞いて、

一応近くに営業している婦人科があったので自転車でソッコー向かった。

婦人科は例の診察台と、男医に下半身を見られるのが嫌すぎだったけど…………………………

我慢して診てもらった。

というか、もう出血が多すぎて頭の中が「ヤバい」以外考えられなくなっていたので、それどころじゃなかった。

羞恥よりも「とにかくなんとかして早くこの血を止めてくれ!!!!!」という感じだったので………………

で、採尿が大変だった。

というか、出血が止めどなく溢れ出てくるので採尿なんてできないっつーの。

ちょっと気分の悪い表現ですけど、書きます。

一応採尿はできたけど、尿の中に血が混じりまくった。

あんなので採尿できたうちに入るのか??

しかも採尿する時に、便座に血がこぼれまくった……

鮮血に染まる便座。

私は必死に水に濡らしたトイペで便座をキレイに拭いた。

そして診察後、点滴を打ってもらって、医師に「入院したほうがいい」と言われた。

なんて言われたか、詳しくは忘れてしまいましたが、まぁとにかく出血しすぎてて貧血症状起こしかけてる?とかで。

抹消血液検査の結果、

赤血球(RBC)が2.32 Lで、

血色素量(Hgb)が8.8 Lで、

ヘマトクリット(Hct)が、28 L

だった。

よく分からないけど、特にこの辺が良くない数値だったらしい。平均の数値も示されたけど、確かに基準値を下回っていた。

そして、1週間入院することに。

この1週間、何が一番辛かったかって、とにかく何もやることがないんですよ。

当時はガラケーも持っていなかったし、MP3プレイヤーは家に置いてきたし、本なんかも持ってきてないし、PCももちろん家だし。

とにかく娯楽がほぼない。

暇で暇で、本当に辛かった。

TVを見るしかできなかった。

そういや、その当時病室でガンダム00見たな〜、なつかし。

暇だから、寝るんですが、寝まくったからもう眠くなくて、結局起きてる。

ちなみに、出血自体はピルを飲んだおかげで2〜3日で止まった。

あ、そうだ、ピル飲んで出血止まったのはいいけど、そのかわり吐き気がすごかった。

吐き気が酷くてご飯も食べられなかった。

食べても、すぐに吐いてしまうから意味ないし。

そのうち、胃の中のものを全部吐いてしまったのに、それでも吐き気だけは止まらなかった。

暇でしょうがなかったのは、出血が止まってきて、ピルを飲まなくてもよくなって、吐き気が止まってきた4日目以降くらいからだったかな……………

そうだ、この時初めてカテーテルを刺(挿?)してもらったんですけど、挿した部位名が分からん😂😂

膀胱なの?

私、歩けないこともなかったんですけど、挿されました😢😢

そしたら、またひどいんだ、この残尿感のようなものが。

初めの24時間くらいはこの残尿感のような感覚にひどく悩まされた。

とてつもなく、不愉快だった。

めちゃくちゃキモい。

不快。

常に尿意を我慢しているかのような感じ。

地獄…は言い過ぎかもしれないけど、とにかく最悪だった。

でも、段々と感覚が麻痺してきて、慣れてきたんですけどね。

慣れるまでが本当に辛かった。

こんな思いはもう二度と御免だ、と強く思った。

私が入院している時、なぜかちょうど父親も別の病院に入院していたんですよね。

なんで入院していたんだっけか、確か腎臓がんのせいだったかな?

私が入院する2ヶ月前くらいに、母親も1ヶ月ほど入院していました。

家族3人で、なぜかやたら入院する時期がかぶっていた。

私は、この時の卵巣機能不全の理由、ストレスと不規則な生活のせいだと思っているのですが。

母親が入院している間、家事を全て私がやらなければならないことになって、半端ないストレスがかかっていました。

加えて、大嫌いな父親と期間限定とは言え、二人暮らし。

この当時、犬を飼っていたんですけど、犬の散歩も一日に2回ほどありましたし。

ストレスたまりまくりで、毎晩夜中の3時までネサフ。

朝は7時くらいに起こされて、父親の朝食の準備。

父親の食事の献立を考えるのがとにかく苦痛だった。それは今もだけど。

余談ですが、当時こなかがにハマっていて、ニコ動でこなかが関連動画ばかり見ていました。

でも、らきすたはアニメも漫画もあまり見てなかったくせに。

(※田舎なのでアニメがやっていなかった&円盤や原作漫画を買うにはお金がかかる&ニートでお金がなく、貧乏だったため、作品を深く知ることができなかった。でも2次創作は楽しめた、無料の範囲で)

こなかがが、当時の私の心の栄養源でした。

この時期は、趣味の画像フォルダが見事に青と紫だらけでしたww

でも毒親のせいで毎日病んでいました。

ご飯も炭水化物ばかりでした。

マックとか、コンビニ弁当とか、持ち帰りのお好み焼きとか…。

野菜を全然とってなかったです。

栄養バランスなんて全く考えていませんでした。

そういう不規則な生活が続いたから、あんな卵巣機能不全になんてなったんじゃないかと思ってます。

母親が退院してから2ヶ月後くらいに私が入院しました。

そう言えば関係ないけど、その時ちょうど家のオール電化のための工事をしてたんだっけ。

あー、そうだ、その入院する前から数えて、約10日間くらいお風呂に入っていなかったので、もう半端なく頭がかゆくて、最悪でした。

髪の毛もベタベタして、超不快でした。

入院生活で色々我慢させられたな…………………

ひどい目にあったわ。

とにかく早く退院したくて、入院生活後半は医師にめっちゃ元気アピールしていたのを覚えています。

退院したら、もう秋が深まっていて、外の世界が肌寒かったのを覚えています。

11月始めのことです。

退院後に、母親と近所のショッピングモール内でお好み焼きを食べたっけなー。

上の方でもお好み焼きのこと書きましたけど、同じ店です。

この時はまだ飼い犬が生きていたから、私が退院して家に帰ったら、いつになくテンション高い犬がお出迎えしてくれて、嬉しかったな。

「生きとったんかワレェ!」って言ってそうだった。(「生きとったんかワレェ」の元ネタは、確かダウンタウンのH氏だったか)

とにかくもう入院はこりごり、いや、まぁスマホとPCを持ち込みできるならいいかな。それで、wifi無料で使える病院なら。

本当しんどい体験だったなー。

これ以来何度か過多月経になったけど、なるべく早めに婦人科に受診するようになりました。

ホルモン注射は、高いけど、即効性があるからいいですね。

でもまた出血が止まらなくなって、かつ、出血量が多い時は、婦人科でデュファストンという薬をもらって飲むと、吐き気などの副作用がなく症状を治せることが分かってきたので、今はそうしています。

でも最後に婦人科行ったのは、3〜4年前だけど。

最近は過多月経にならないな。なんで。

精神科に通院してるからかな。

精神科では、エビリファイとクロチアゼパムを処方してもらってます。

婦人科は、3件くらい行ってみて、最終的には、駅近の繁盛している婦人科に行ってます。

いつも客でいっぱいだから、多分繁盛してると思う。

気分転換に、帰りに駅ナカのスーパーに行って買い物してくるのが地味に楽しみ。

私の住む県内で1番大きな駅だから、なんかたまに行くと都会に行ってきた気分で、ワクワクしてしまう。別に電車には乗らないけど。

それにしても、血の塊がドバドバ出てくるのは本当恐怖でした。

常に夜用のナプキンを付けていてもなんだか頼りないくらいの出血量。

本当はそれこそ、おむつとかつけたいくらいでした。

おむつ買ってつければよかったな、あの時。

長くなったけど、昔初めて入院した時の話をまとめてみました。